学校教育の始まり 柳園塾

 江戸時代、大城小学校の日比生地区に、柳園塾がありました。この柳園塾を開いたのは、井上智愚・昆江父子です。井上智愚は、日田の広瀬淡窓に師事し、咸宜園で学びました。
その後、故郷に戻り、日比生に塾を開きました。その子昆江も咸宜園に学んで塾頭にまでなりました。その後、昆江も柳園塾に戻り、父とともに塾生を導きました。当時、たくさんの人々が学び、教育者や医者など明治時代に活躍した優秀な人材を多数輩出しました。
 この柳園塾は、学校のもととなるもので、教育への熱い思いが地域の中に受け継がれています。大城小学校でも校歌に歌われ受け継がれています。

 大城小学校の教育を考えたとき、この益影の井と柳園塾の精神は、教育の根底をなすものです。この歴史の財産を受け継ぐ子どもを育てることこそ、大城小学校の使命でると考えます。
 特に益影の井の言い伝えである「美しく、賢く、長生きする」ようにという願いは、本校教育の目指す子どもの姿に通じるものです。